この夢はどんな時も笑っているよ

某所でホームレスなど生活困窮者の支援をしている人間のブログ。

62歳男を誘惑する20歳女

ふぅ、今日は疲れた~。いつも通りの仕事をして、その後、事務所で社員会議が3時間。さらに今日はトラブルが。我々が支援している20歳女が、62歳男といい関係になってしまい、男は周りに結婚するとまで言い出した。これに気がついた僕らは、先日、直ちに関係を解消するように指導をした。別に恋愛をするのは自由ではと思われるかもしれないが、どちらも生活保護費をもらって生活している身。両方とも就労可能年齢なのに働いておらず、女の方は就労支援プログラムも上手くいかない。とにかく続かない。

どうやら寂しさを紛らわすために、こう言う事を最近するようになり、数々のウチの団体の男の被支援者に言いよってきた(ちなみにその前は買い物依存が激しく、生活保護費をもらったその日のうちに、洋服を3万円買った事もあった)。

 

つまり女は、寂しさを紛らわすために男を買う感覚で男に言いより、その男も孫みたいな年齢の女に近づいたのだった。

 

先日、関係を解消する事を指導し、女の方は就職活動をすると言っていたのに、何していたんだと叱り、しばらく謹慎を命じた。にもかかわらず、次の日、外で手をつないで歩いているところを発見。その後事務所に呼び出し、事情を聴いたところ、両方とも口裏を合わせた様にウソを言い、こちらの怒りの矛先を変えようとした。そこで幣所の代表も激怒。支援を切るからウチから出ていけとなったってわけ。

 

社員会議が終わった後、2時間、午後9時半まで説教。職員みな空腹で眠い。そしてようやく二人とも謝罪をし、ウチの団体でやり直す事になった。

 

 自分も男だから、ほんの少し、男の方には同情できるが(それでも結婚すると吹聴したことはどうなるんだろうと思うけど)、この典型的な小悪魔ちゃんは一体全体・・・・。

 

僕らは若年層の元生活困窮者も引き受けている。雇用の非正規化が進んでいる事も影響しているのか、最近そういう人がだんだん多くなってきたのだが、共通している傾向がある。それは忠義とか恩と言った感情を殆ど、あるいは全く持てないと言うことである。

 

なんというか、やってもらって当たり前、支援してもらって当たり前という、昔の哲学家が聞いたら引っくり返って驚く様な人間が多いのである。現に、所詮ただのNPOの癖にと吐き捨てた男の子(23歳)の被支援者もいたし。

 

まぁ高齢の被支援者にもそういう人がいるけど、割合的には、若年層が遥かに多い。

 

ウチにいる若年層は、家族や親類の支援が期待できないからいるわけだから、家庭教育は貧弱であったのだろう。だけど義務教育はそれなりに受けている(不登校の子もいるということ)。自分らしさとか自己表現と言う事を重視し(それがいかに空疎で無意味かは多くの人が指摘している通り)、人間は社会的生物(ゲマインシャフト)であるという事を忘れ、そしていつしか協調や協働、感謝の念を持つ事を学ばなかったのだろう。

 

僕らは基本的に、彼らとの関係が解消されること望んでいる。被支援者が若者であればあるほど強くそう思う。僕らの組織は彼らにとって一時的なアジールであり、行く行くは就労し、社会的に自立し、ウチとの関係が切れて巣立って欲しいのである。

 

だけど恩義とかが理解できないと、死ぬまでウチと関係切れないよ。

 

ウチは支援させてもらっている以上、それ相応の生活管理はしている。

ジョージ・オーウェルの1984ほどではないけど、若者にしてみれば、相当かたぐるしいはずだ。生活している中で買った物のレシートはすべて見せてもらうし。

 

同世代の子は、友達とおしゃれなカフェに入り、年に一回ぐらいは海水浴なんかに行き、もっと好き勝手なことをしている。そういう生活を取り戻したいとは思わないのかな?

 

いったい彼らに恩義や贈与を受けたらパスをすることの重要性を理解してもらうには、僕たちはどうしたらいいんだろうね。ウチらはしがない民間団体だから、当然の様に強制力なんて行使できない。だから或る種の思想を強制する事は出来ない。だけど彼らがそれにいつか気がつくまで僕らは待ち続け、その結果振り回され続け、疲弊しきるのはどうしても避けたい。

 

それにいくらさびしいからと言って、自分の性を道具に使うのはどうかなと思う。この62歳男声と寝たかどうかは聞いていないけど(寝てないと答えるにきまってるし)。

その女の子は、最終学歴は中卒。家庭でネグレクト受けていた。その様な悲惨な過去が、当人の性格に影響を与えているとは思うけど、性を安売りするという生物の本質に反する様な事はするべきじゃない。そんな事をしても、不快な気持ちになって、精神的に傷つくだけなのではないか。不幸な少女期を過ごして、結果ウチに来て、生活再建をすることになったのではないか。生活再建の意思がないなら、僕らの支援から抜けて欲しい。僕らの体力だって有限だから、生活再建を真摯に望む人に体力を使いたい。